フィギュアスケート2015-16シーズンが開幕しました!日本中が一番注目しているのは浅田真央選手ですよね!復帰後初の国際試合となるジャパン・オープンでは競合ロシア選手たちをも圧倒していましたね。そんな浅田真央選手の復帰後初シーズンの目玉「蝶々夫人」について調べてみました。
浅田真央選手の復帰後初シーズンのプログラムはこちらです。
ショートプログラム 「素敵なあなた」
フリースケーティング 「蝶々夫人(マダムバタフライ)」
エキシビジョン 「踊るリッツの夜」
全曲振付け:ローリー・ニコル
今シーズンの振付や見所などはこちらでも語っています。良かったら読んでみてくださいね☆
私が一番注目しているのはフリースケーティングの「蝶々夫人」です。
「蝶々夫人」は超有名なプッチーニのオペラですよね。話の内容を知らなくてもタイトルは知っている方も多いのではないでしょうか?
では、オペラ「蝶々夫人」とはどんなお話なんでしょう?
目次
オペラ「蝶々夫人」は日本人ヒロインのせつない恋物語
プッチーニ作のオペラ「蝶々夫人」の舞台は日本です。
あらすじをざっくりと。。。
物語の舞台は19世紀末から20世紀初頭の長崎です。ちょうどトーマス・グラバーなどの外国商人たちが拠点を置き貿易等で栄えていた時代ですね。
武士の家の娘として生まれた蝶々さんは、父の切腹により没落士族となり芸者になりました。そして15歳の頃、アメリカ海軍士官のピンカートンと出会い結婚します。蝶々さんはキリスト教に改宗するほどピンカートンにゾッコンでした。親族の忠告もある中ピンカートンと結ばれることを選んだのです。
一方のピンカートンにとって蝶々さんはあくまで現地妻でした。日本の生活を楽しむために蝶々夫人を囲っていたのです。
ひどい話ですが、当時は外国人と日本人の仮初の結婚がよくあったそうです。その日限りの遊びも一般的でしたが、より地位や財力がある外国人にとっては、在日期間中に常に女性をそばに置いておくことがステータスだったようです。
話は戻って、結婚してまもなく、ピンカートンは任務期間が終わりアメリカへ帰国します。蝶々さんは夫の「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」という言葉を支えに、二人の間にできた愛息子とともに、夫が帰って来る日を信じて待ち続けました。
それから3年、ピンカートンが所属艦に乗って再び長崎にやって来ました。
蝶々さんは、ようやく会える喜びで彼が訪ねてくるまで徹夜で待ちます。しかし目にしたのは庭にいたピンカートンの妻ケートでした。彼女は蝶々さんの息子を引き取りに来たのです。肝心のピンカートンは蝶々さんの一途すぎる思いに耐えきれず逃げ出してしまいました。
ケートの姿を見るなり全てを悟った蝶々さん。絶望の中でも凛とした態度で「ピンカートンが引取に来れば息子を渡す」と答えます。
そしてピンカートン夫妻が再び尋ねるまでの間に、蝶々さんは息子を目隠しし、父親が切腹した短刀を喉に突き刺し自害します。「名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん」蝶々さんのプライドでした。
最後に最愛の息子の元に行き抱きしめようとしますがそれもかなわず絶命します。
とまぁ、ざっくりですが、こんなお話です。
とても悲しい切ないお話ですね。心に情熱を抱きながら一途に耐えて待ち続ける芯の強さは日本人ならではのものではないでしょうか。
代表曲「ある晴れた日に」の歌詞
そんな「蝶々夫人」の劇中歌で最も有名なのが「ある晴れた日に」ですね。
下は三浦環さんバージョンです。彼女は戦前から活躍したオペラ歌手で、日本人として初めて世界で認められて欧米でも活躍していた一人です。「蝶々夫人」は彼女の代表作です。
この曲は、蝶々さんがピンカートンの帰りを待ちわびている場面で歌われます。
【ある晴れた日に(歌詞)】
ある日、海の彼方にまっすぐな煙が立ち上るのが見えるの。
そして、船が現れるの。後にその船が港にはいると入港の号砲が鳴り響くの。
見えるでしょ? 彼が来たのよ!
でも迎えには行かないのよ。行かないの。
丘の縁に居て待つの・・・待ち続けて・・・それがどんなに長くなっても私は平気よ。
そうしてると、一つの小さな点のような人が、町の群衆から抜けだし、丘を目指してくるの。
誰? 誰なんでしょう?
そして到着したら何て言うのかしら? 何て言うの?
遠くから「蝶々さん」と呼ぶのよ。
でも、私は答えることなく隠れたまま・・・
ちょっとした悪戯よ、再会した途端に死んでしまわないように、
そしたら彼は心配する余り、こう呼ぶの・・・ 呼ぶのだわ、
『バーベナ(美女桜)の香りのする可愛い妻』って・・・
この名前は彼が私に付けてくれたの。
(下女のスズキに向かって)
これらの事は全部本当に起こるの、誓ってもいいわ。
あなたは心配していなさい・・・
でも、私は絶対に信じて待つわ!
蝶々さんのピンカートンに対する気持ちが溢れていますね。グラバー邸のように小高い丘の上にある館から海を往来する船を眺めている情景が浮かんできます。
蝶々さんの実在モデルとは?実は蝶々さんは生きていた?
蝶々さんのモデルはグラバー夫人説
蝶々さんのモデルはグラバー邸で有名な英国商人トーマス・グラバーの妻、談川ツルではないかという説が有力です。ツルは蝶々さんと同じくツルは士族出身であり、外国人と結婚し、蝶の模様の入った着物を好んで着ていたので「お蝶様」と呼ばれていました。
しかし、ツルの場合は夫グラバーと添い遂げますし、他にも相違点が多々あるので確実にモデルになっているとは言い切れないようです。
談川ツル(グラバー・ツル)wikipediaより
蝶々夫人は悲劇ではなかった?!
オペラ「蝶々夫人」はロングという作家の小説「蝶々夫人」を元に作られました。その小説には実は幻の続編があるそうです。
蝶々さんはオペラの最後のように真ではおらず、その20年後に息子の帰りを待っている様子が描かれています。つまり、「蝶々夫人」は終わりの物語ではなく、息子を手放した蝶々さんの第二の人生のスタートだとも考えられますよね。
「蝶々夫人」は現在の浅田真央選手にピッタリのプログラム
http://blog.livedoor.jp/socho2824ech-echko/
浅田選手は以前から「蝶々夫人」を日本人としてやってみたかったプログラムだと語っています。(こちらの記事も合わせて読んでね☆)
長期休暇中に恋愛をしていたのかどうかは謎ですが、選手生活から離れてみて初めて感じた感情もたくさんあるのではないでしょうか。20代半ばに差し掛かり、これまでの経験を体を持って表現する時期に入った浅田選手。「蝶々夫人」を演じるのにはまさに絶好のタイミングです。
そして、まさに人生の区切りを表すようなこの物語を前向きに捉えるとすれば今の浅田真央選手にはピッタリですよね。
蝶々夫人のせつなさ、激しさ、凛々しさ、悲しさ、喜び、そんな繊細な感情を浅田選手がシーズンを通してどのように表現し、磨き上げるか楽しみです!