磯村勇斗 中学高校時代のエピソード!演技派俳優の原点とは?




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磯村勇斗 中学高校時代のエピソード!演技派俳優の原点とは?

磯村勇斗さんといえば不良生徒役から将軍役まで幅広くこなす、カメレオン俳優と言われています。そんな磯村勇斗さんは子供時代から俳優を目指していました。

磯村勇斗さんが俳優を目指すようになった中学時代から芸能界デビューまでのエピソードをご紹介します。

子供時代から俳優を目指していた磯村勇斗

俳優の磯村勇斗さんは子供時代から役者になるという夢を持っていました。

イケメン俳優のデビューのきっかけといえば、街を歩いていたらスカウトされて事務所に入ってというパターンか、モデルのオーディションに応募してというパターンが多いかと思います。そんなパターンの場合「まさか自分が役者をするなんて思ってもみなかった。」と振り返る俳優さんも多いですよね。

しかし、同じイケメン俳優でも磯村勇斗さんの芸能界デビューの道のりは少し変わっていました。

ということで、磯村勇斗さんの中学時代、高校時代、大学時代のエピソードとともに、磯村さんが芸能界デビューに至ったきっかけを紹介します。

俳優を目指すきっかけは中学時代の自主制作映画「ヌマヅの少女ハイジ」

磯村勇斗さんは中学生時代に俳優になりたいと思うようになり、それから一途に俳優になるという夢を追いかけ続けていました。

では、磯村勇斗さんが中学時代に俳優を目指すきっかけとなった出来事は何だったのでしょうか?

それは磯村勇斗さんが中学2年生の時に生徒たちとともに制作した一本の自主制作映画でした。

映画のタイトルは「ヌマヅの少女ハイジ」

なぜヌマヅ?と思う方もいるかもしれませんが、沼津は磯村勇斗さんの出身地で、磯村さんは沼津市立第一中学校の生徒だったからです。

そして名作のパロディ的なタイトルも気になるところですが、実はこの作品はスイスの学校との交流のために作成されたため、ハイジがテーマになったようです。


この「ヌマヅの少女ハイジ」は生徒たちが脚本・演出・撮影をすべて手掛けました。さらに磯村勇斗さんはこの作品で主人公のハイジ役を演じています。

作品は15分程度という短いものですが、ブルーシートで背景を合成するなどなかなか手が込んだ作品でした。

この作品の制作を通じて、磯村勇斗さんはゼロから1つの作品を作り上げる喜びを感じたようです。

この渾身の作品は、学校の生徒たちからも大喝采を受け、これがきっかけで磯村勇斗さんは俳優という職業を目指すようになりました。ちなみにこの自主制作映画を作っていなかったら、今自分は俳優をやってなかっただろうと磯村勇斗さんは語っています。

タイムカプセルに込めた「俳優になる」という決意

中学校時代に俳優という夢を見つけた磯村勇斗さんですが、中学時代に埋めたタイムカプセルに収めた二十歳の自分への手紙に「俳優になっていますか?全国で有名になっていますか?」というような内容を書き記しています。

そしてこの手紙は二十歳になったとき同級生の前で読んだそうですよ。

ふつうなら芸能人になりたいというような大きな夢を手紙に書き残すなんてためらいそうなものですが、堂々と書き残して、さらに二十歳よりは少し遅れるものの、手紙の内容が実現している磯村勇斗さんはスゴイですよね。

ちなみに磯村勇斗さんは中学時代にバスケ部に所属しており、女子生徒にモテモテで男子生徒にも人気者だったそうです。

今では全国の女性からキャーキャー言われる存在ですが、当時は校内の女子からキャーキャー言われていたのでしょうし、俳優になれるという自信もあったのかもしれませんね。

高校時代には劇団所属 オーディションを受けるも…

磯村勇斗さんの中学生時代に芽生えた夢ですが、高校時代にはついに夢への実現へと動き始めます。

磯村さんは芝居を学ぶために地元にある劇団『沼津演劇研究所』の門をたたき、演技のレッスンを受け始めました。

そして劇団の活動の傍ら、芸能事務所のオーディションを受けるなどして芸能界デビューに挑戦していました。

ちなみに磯村勇斗さんは上京して俳優になってからも沼津演劇研究所と交流があるようで、沼津に帰郷したさいには観劇することも。

磯村勇斗はお笑い芸人になりかけていた?!

高校時代に地元の劇団で演技を学びながら芸能界入りを目指していた磯村勇斗さん。

あるとき、磯村さんは同級生で同じく役者に興味をもっていた友人二人とともに芸能事務所のオーディションを受けることになりました。

結果は見事合格!しかし、そこには意外な落とし穴が。

なんと「同級生二人とトリオでどうですか?」との打診。俳優でトリオ?!?!…

実は芸能事務所はトリオ芸人として磯村さんと同級生二人を事務所に入れようと考えていたのです。

しかし、3人ともあくまで役者志望だったので、答えはNO。芸能事務所入りの話は断ち消えました。

それにしてもなぜ芸人のオファーだったのでしょうか?

実は三人は同じような服装でオーディションにやってきて、しかも磯村勇斗さんは某TVショッピングのものまね(おそらくジャパネットたかた)を全力で披露したそうです。そりゃトリオ芸人を打診されるわ…。

あのとき芸人として事務所に所属していたら今頃磯村勇斗さんはどうなっていたのでしょうか…。

実は磯村さんは小学生時代にお笑い芸人に憧れたこともあったようなので、芸人・磯村勇斗という可能性も全くゼロだったというわけではなかったかもしれません。

ですが第七世代芸人の磯村勇斗、想像できますか?それはそれで黄色い声援を浴びていたに違いないでしょうが、あの時「芸能界」という肩書にだけに踊らされずに断ったのはファインプレーでしたね。

しかし、芸人とはいえ芸能事務所の審査に合格したことで、磯村勇斗さんは芸能界入りにますます自信を付けたと語っています。

両親に反対され大学進学した磯村勇斗は街をうろつく日々

高校時代から俳優の夢に向かってアクションを起こしていた磯村勇斗さんですが、両親からは大学進学を強く勧められていました。

そして両親と折り合いを付け、芝居ができる(演劇が学べる)桜美林大学に進学します。

そんな磯村勇斗さんは、大学進学のために上京し、暇さえあれば街をうろつく生活を送ります。

ひたすらスカウトを待つ磯村勇斗

街をうろつくというとちょっとアブナイ感じがしますが、磯村勇斗さんはある目的をもって街をウロウロしていました。

それはズバリスカウトです。

磯村勇斗さんは原宿などのスカウトの多い場所をひたすら歩き回り、芸能事務所のスカウトを待ちました。

「ダイヤの原石感」を演出するために、スマホを見たり、ポケットに手を突っ込みながら歩いたりはせず、ポカーンっと前だけを見て、腕も振らずに歩くのが磯村流。何にも染まっていない純粋な雰囲気を醸し出すのがポイントのようです。

この磯村流原石ウォーキングで歩き続けた結果、ついに!!!!

と言いたいところですが、残念ながら成果は出ませんでした。

声をかけてきたのは何やら怪しい感じのスカウトだけだったようです。磯村流ウォーキングは惨敗ですね。

ここで磯村勇斗さんは、「自分は見た目で勝負できるようなレベルではないんだ」と悟りました。

中学生時代からモテモテの人生を歩んできた磯村勇斗さんにとっては辛い経験だったかもしれませんね。


しかし、磯村勇斗さんはこんなことでは夢を諦めませんでした。

大学中退→フリーの俳優へ!そしてついに夢を叶える!

スカウト待ちの一件もあり、磯村さんはより一層演技力を磨く必要性を感じるようになりました。

そしてついに大きな決断をします。

大学を2年半で中退し、フリーの役者として活動を始めたのです。

磯村勇斗さんはアルバイトをしながら、友人らが主宰する小劇団を転々として舞台をこなしていきました。

そんななか、2013年。とある舞台のオーディションで磯村さんの演技に目をつけた伊藤晴朗さん(劇団・地下空港主宰、脚本家)が、自身の作品『タガタリススムの、的、な。』に磯村勇斗さんを主演で起用します。

実は伊藤晴朗さんは、現在磯村勇斗さんが所属している芸能事務所、BLUE LABELにクリエイターとして所属していました。その縁と、磯村勇斗さんの演技力が評価されたことで、磯村勇斗さんはついにBLUE LABEL所属の俳優となりました。

それから間もない2015年には『仮面ライダーゴースト』の主要キャストに大抜擢。そして2017年には朝ドラ『ひよっこ』でヒロインの恋人役を演じてブレイク。そして今では全国で広く知られる実力派俳優の一人になっています。

クールなイメージの磯村勇斗は夢を追い続ける熱い男だった

磯村勇斗さんは不良役や、知的な役を演じることが多く、どことなくクールでとっつきにくいイメージを持っている人もいるのではないでしょうか?

しかし、実際の磯村勇斗さんは中学生の頃からブレずに1つの夢を追いかけ続けた熱いハートの持ち主だということがわかっていただけたかと思います。

スカウトされて順調に売れっ子俳優になった人々と比較すると、磯村勇斗さんの俳優への道は険しい回り道でしたが、だからこそ鍛えられた演技力が、今の磯村勇斗という俳優の一番の武器になっているのですから、すばらしいですよね。

何度も挫折しながらも夢を諦めなかった磯村勇斗さんがいたからこそ、私たちは今の彼の素晴らしい演技を見られているのだと思うと感慨深いですね。








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